石川太郎's DIARY
【いちご新聞】
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11年03月12日
「静かなる男~The Quiet Man~」
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「本物は虚飾を嫌う」ということなのかも知れない。
「秘すれば花」という言葉もある。
つまり寡黙であるということは、
好ましい人物と同義ということなのだろう。
たとえば、
映画の巨人ジョン.フォードが追い求めたものは
人間の精神の深みだったに違いなく、
それは黙して語らぬというやり方で、
ヘンリー.フォンダやジョン.ウェインの背中に
雄弁に語らせたというわけか...。
だからかのハリウッドの名匠をこの上なく愛した黒沢明の唯一無二の秘蔵っ子(三船敏郎)が、
「男は黙ってサッポロビール」
とCMで呟いたのも
むべなるかなというべきなのである。
今日のラジオのお題は「静かにしましょう」であった。
『それはうちの奥さんです。たまに余計なひと言があります。昨日は洋服屋さんの店内で堂々と「こんなの着る人いるの?」とノタマイました。頂き物のお菓子に私が手を出そうとすると、頂いたご本人がいるのに「あんたこのお菓子嫌いだったのに...」とぬかしたこともありました』(仙台市 Iさん)
...ご主人のこのお便りこそが、今回のテーマで登場する方々の視界なのでしょう。「どこでも我が家症候群」とも呼びたくなるこの症状は、人間誰でも持っている一種の視界不良≠セと思います。「どこでも自宅気分」「誰もがざっくばらん」と思う奥さまの自信は、おそらく普段のご近所付き合いが、時空を超えて不変だとする確証≠ナもあるのでしょう。きっと心豊かな方なのです、奥さまは...。
『さる面接会場で順番待ちをしているときのこと。隣に座った同じ受験者と互いに名乗りあったとたん、何に共感を覚えたのか話が盛り上がり、無意識に結構声高になってしまったのでしょうか、ふいに会場の扉が開いて係員に注意されてしまいました。40代半ばを過ぎたいい大人になってからのことだけに、今でも思い出しては赤面します』(仙台市 Rさん)
...事件時に40半ばを過ぎていたからこそ、このお便りは値打ちがあるのです。年齢を重ねても大人の振舞いが出来るとは限らないということを、このエピソードが雄弁に語っているではありませんか。「いい大人になってからの面接」、これは現代の社会情勢がこのシチュエーションを生んだのかもしれない。隣同合わせになった人を、「気持ちを分かち合える人」と思っても当然です。面接会場とは、そんな出会いを与えてくれた必然の場≠セったのでしょう。お気持ち、充分に分りますよ。面接官は、ただ職務に忠実だっただけなのです。
土曜日の『それいけミミゾー』と違い
比較的クールにお送りしている筈の月曜日の『Colors』が、
めずらしく爆笑に包まれたのも、
みな大人≠ニ呼ばれて久しい年齢のスタッフが、
過去のものとはいえないすねの生傷≠
複数持ち合わせていたからだ。
それは放送現場ゆえの公傷≠ナもあった。
だが...、
「静かにすべきを、静かに出来なかった」
とするお便りを読む私こそが、
もっとも静かに出来ない人間だけに、
それを受けるオペレーターさん達も
実に微苦笑を禁じえない作業だったろうとも思う。
いやぁ、じつに面目ない。
エレベーターで黙ってみれば
驚くほど室内が静かだったことに戸惑い、
喫茶店でコーヒーをすすった瞬間
驚くほど店内が静かだったことに戸惑うなど、
この手のエピソードならば枚挙に暇が無い筆者だが、
いま思い出しても赤面するのが
5年前に見に行った『ポンペイ展』(仙台市博物館)での、
痛すぎる記憶である。
(『ポンペイ展』2006年9月/仙台市博物館で開催)
「2千年前の帝国ローマは、驚くべき現代的な文化を持っていたんだよ」
仙台市博物館の端正な展示スペースに並んだ
本物の歴史遺物を目の当たりにして、
古代ローマ好きの私が興奮していたことは否定しない。
そんな中にあって
いっそう寡黙になるしかない小学生(当時)に対し、
私の解説がますます熱を帯びたのは、
宝飾、食器、調度品、神話を模した美術
さらには当時の権力者を描いた見事な胸像、立像と...、
黒山の人だかりの向こうあったものが、
私が胸躍らせて読んだ
塩野七生氏のシリーズにも克明に記されていた、
"事実の遺物"そのものだったからだ。
「当時のローマの食文化は、現在のイタリア料理のルーツと言うべきものだったのだよ。イタリアどころか、フランスをはじめとする全ヨーロッパの食文化の元だったのさ。ローマ市民はパンをパン屋で買って、蜂蜜入りミルクトーストや豆スープを作って、水割りのワインで食べたりしたんだ...」
(協力:宮田敬子さん、山本義幸アナ)
うっとうしい説明には違いないが、
私は子供に対し
小声で話していたことは断言できる。
だが自分がそうであるがゆえに
周囲の人々も自分だけのローマへの感慨≠ノふけりたい筈で、
それに気づくことこそが
古代ローマ的な大人≠フ振る舞いだったのだが、
その点においても私は
決してローマ人にはなれなかったのだった。
そして...!
私のすぐ前でやはり展示物を見物していた
ヘアカラーも美しいご婦人が、
突如振り返り憤然として言い放った言葉を
私は一生忘れないだろう。
「ちょっと静かにして頂けません!周囲はみな迷惑しているのですっ」
まあ長い人生には、
こういうことが往々にしてあるようだ。
『以前○○病院に入院していた時のこと、私がいた部屋はなぜか皆にぎやかな人ばかり集まっていました。まぁ私が一番にぎやかなのですが、類は友を呼ぶというのか、病院なのに午前と午後の2回かならずお茶飲みに、一日中おしゃべり三昧。新しく部屋に入る患者さんには先生から「この部屋は病棟一にぎやかだからね」という説明がありました』(塩釜市のMさん)
...類が呼んだ友が、同病相哀れむのですから、部屋の外の住人にとってはまさに取り付く島が無い¥態だったのでしょう。先生の微笑も、分かるような気がします。互いの共通体験から生まれる人間の饒舌は、個人的な自慢話をすら圧倒するとさえ言われています。しかも文中から察するに、この部屋のみなさんは驚くほど体調がいい。おしゃべりによる免疫力向上が、近代医療を凌駕する瞬間を、われわれはラジオを通して目撃≠オたのかも知れません。
『ある方のお通夜で、葬儀会館に和尚さんの読経が響き渡る中、親しいおばさん達が一回おしゃべりを注意されたのに、その後もおしゃべりを続けたので、和尚さんも起こってしまい、お経をやめて帰ってしまいました。その後はむしろ、シーンとなっていました』(登米市 Fさん)
...何百回と繰り返し読んだ結果なのでしょう、練りに練られた読経の声は日本人の胸に響きます。そんな修行充分の和尚にとってさえ、自分の経にかぶせてくるおばさん達のハーモニーは、なんとも腹立たしいものに違いありません。しかし剃髪をもって己の戒めとし、煩悩に迷う凡夫を悟り≠ノよって導くべき僧侶が、キレてどうするのですか。村娘スジャータが、思いのほかおしゃべりだったに過ぎないいと思うべきなのです。
番組のテーマ自体が「静かにしなさい」なのだから、
みなさんの文面上では
おしゃべり側の分が悪いのは仕方が無いとして、
あらためて...ここでみなさんに問う。
逆に「静かにしなさい」と注意されずとも
初めから静かなままの男が、
はたして人間的に好ましいのかどうか?
そしてそれを考える上で題材に選んだのが、
いまから約60年前の名作
『静かなる男』(ジョン.フォード監督)だったのは、
原題すら(The Quiet Man)であるそのタイトルが
趣旨に合致し過ぎている懸念を超えて、
"人間の寡黙"というものを極めて単純化した
その分りやすさを買ったのである。
ジョン.ウェイン演じる主人公は、
静かなことが全ての男では決してなかった。
そして彼は元ボクサーだった。
さらに寡黙を通すばかりで
闘うべき時すら闘おうとしない不甲斐なさに、
フィアンセは彼をなじるのである。
しかし彼には、
決して人には明かせぬ過去があった。
それは試合中のこととはいえ
誤って相手を殴り殺してしまったという、
寡黙を通すには充分過ぎる過去だったのである。
二度と腕力をふるうまいと決心し
それゆえ頑なに沈黙を守り通した男の悲しみは、
しかしついに怒り≠ニして爆発する。
(協力 / ロジャー大葉さん.大久保悠アナvs森雅一郎アナ)
逃げ出した婚約者を列車から引きずり出し、
二人の結婚に反対し続けた彼女の兄とは
過去を忘れての大立ち回りの結果、
胸襟を開きあった両者は仲直り。
彼と彼女はめでたく夫婦になったとさ~の、
実に絵に描いたような大団円である。
このストーリーで分ることは、
「静かなる男」とはつまり、
決して語られない"過去"を持つ男だということだ。
したがって本人が多くを語らない分
人生に深みは感じられる一方で、
彼の誠実さを知るためには
周囲の善意による憶測に頼るしかない。
一方で「静かではない男」とは、
過去はすべて持ち前の豊富なボキャブラリーにより語られ尽くし
そのため人生の透明度ならば極めてクリアだ。
したがって深みは感じられないが、
真実も決して深くないだけに
そっちの方がかえって誠実だとも言える。
さあー、人間的に好ましいのはどっち?!
『その中間って無いんですか?』
大久保くん、
きみはいたって冷静だねぇ...。
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