Personal


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石川太郎 いちご新聞
石川太郎


誕生日
7月9日
出身地
大阪市
血液型
A
担当番組
R:「それいけミミゾー
COLORSマンデー
TV:「週刊とれたて!みやぎ
趣味
新聞折込チラシ閲覧
新型自動車の試乗
今、興味のあること
これからモノの値段が、消費者とメーカーとの間でどう決定されていくのか?
得意ジャンル
歴史(中国史、古代ローマなど)、鉄道、映画史etc.‥‥。

<特技>
大型電気店見学
好きなタレント、芸能人
安倍なつみさん
私の好きな・・・
食べ物は、桃、イチゴ、スィーティー
女性のタイプは、笑顔がすてきな人
歴史上の人物は、ユリウスカエサル
お気に入りの場所
「サイゼリア」「ガスト」(泡立ちコーヒーがよい)
私のよく行くお店
ミスタードーナッツ
私ってこんな人です
お前向きで、涙もろくって、明るくて、おしゃべりで、思いやりも自分勝手も全部丸出しで日々生きる!
『吾輩は焼きそばである』
2009/11/22




 私は焼きそばについて、
少し思い違いをしていたのかもしれない。



 一枚の鉄板の上にそばやら野菜やらが
渾然と混ざり合うその様はまさに雑多≠ナあり、

 作り手の気分も大らかならば
かたや注文した客もまた鷹揚な気分なのが、


 このメニューの微笑ましさだと思っていた。



 気を悪くされた関係者がいたら申し訳ないが、


 今やちまたの味覚を席巻したB級グルメの本場(大阪)で
昭和という時代に育った人間の認識たるや、

 かくのごとき大雑把なものかとそこはお笑いください。







 何より焼きそばはもっぱらお好み焼き屋で食されたが、


 「ここのぶた玉、味が落ちたな〜」と
客の批評を浴びずには済まないお好み焼きに対し、

 かたやその脇役(焼きそば)に関しては、

 「この店のはかなりのもんや」とはなかなか評価されぬ
じつに気楽な存在だったからだ。



 だが・・・!


 今や「焼きそば」とは、
町おこし∞地域おこし≠フ起爆剤となるらしい。



 私が知りうる限りでは少なくとも全国20の都市が、


 “地域ブランド”に創業300年の味噌でもなければ藩公御用達の老舗菓子でもなく、
ソース焼きそばを大いに掲げ、

 あれに町の浮沈を賭けているというから
驚くしかないではないか。



 



 しかも・・・!


 「なぜ石巻焼きそば!?」



 私は最初耳を疑い、

 それが間違いでないことを知ったあとは
その根拠捜しにしばし沈黙するしかなかった。



 だって石巻名物といえば、

 ・・・寿司屋、北上川、川村孫兵衛、貞山堀、日和神社、サン・ファン・バウチスタ、岡田劇場、富士ボウル、立町商店街、牧山トンネル、日本製紙、ハリストス正教会、石ノ森漫画館、ササニシキアイス、由利徹、『Bar再会』。


 へへへ・・・。

 最後の『Bar再会』というのは、
義父が羽黒町で経営していたカラオケパブでした〜。(現在は閉店)








 「今回は石巻とっておきのB1グルメをご紹介しま〜す」



 日和山の見事な眺望をバックにしゃべり始めたまではいいが、


 私の石巻に関する理解の中で
「焼きそば」がどこにも出てこないという問題については、

 一向に解決してはいなかった。



 私とこの港町との関係とは
前述の飲食店の娘を嫁にもらって以来だから、

 かれこれ25年になる。


 その間盆暮れの帰省を始め
孫の節句に川開きまつり、彼岸の墓参りと、

 さらに番組のロケや収録までもを入れれば
その行き来は百回を優に超えるだろう。



 
 



 しかし・・・!


 共にB−1王者である秋田県横手と静岡県富士宮の角逐に割って入るような
そんな焼きそば文化がこの港町にあるなんて、

 私は一度も聞いたことがない。



 聞けば秋田県横手市は
自らを「焼きそば発祥の地」と宣言してはばからず、


 かたや静岡県富士宮市は、

 「富士宮やきそば学会」なるものを設立して
ブランドと味の保護・発展を目指しているというではないか。



 どこに石巻の入る隙間があるというのか・・・。







 だが28もの提供店舗が掲載されたパンフレットの
表紙のキャッチフレーズに、

 わが視線は一瞬釘付けになる。



 「石巻が発祥とされる茶色い焼きそば?!」



 カメラクルーを乗せたワンボックスカーは
工業港の倉庫群あたりを走っていたが、


 そんな車窓をぼんやり眺めながら、

 心の底辺からひとつの破片がゆっくりと浮上してくることに
私ははっきりと気づいたのだった。





 「それって南部屋の焼きそばのことか?」



 思い出した!

 確かに石巻には、
茶色い焼きそばを出す店があった。



 だが・・・。


 それは立町商店街近くにあった
『南部屋』という普通の中華屋さんのことであり、

 スナックを経営していた義父が
いつも出前で食べさせてくれた昼食に過ぎない。





(昭和60年頃のBar再会。手前筆者)



 「美味しいか?」と聞かれれば
「ふつうに美味しかった」と答えるしかないのは、

 私自身はその当時
地域の起爆剤になるほどの一品とは思ってなかったからだ。


 しかももう10年以上も食べてない・・・。



 えっまさかあれを担いで、
石巻の町おこしをしようというわけ?!







 「こんにちは〜、お邪魔します」

 「島と申します、よろしくお願いします」



 石巻焼きそばの麺を作る『島金商店』は
昭和25年創業という老舗であり、

 その二代目である島英夫専務もまた
大きな瞳を見開いて情熱的に話される方であった。






 「太郎さんも昔から食べてたんですか」

 「ええ、父が好きでよく出前を取っていたんです」

 「いや〜それは光栄だなぁ〜」





 本当に快活≠ニいう言葉が似合う、
実に魅力的な方なのである。



 そんな専務が見せて下さったのは、
工場内の一番奥にある麺製造の最終工程であった。



 もうもうと立ち昇る巨大な白煙を、

 白衣に白長靴、白のキャップと
完全防備の男達が囲むその光景だけを見れば、


 「生麺のせいろ蒸し」とはまるで
アポロ宇宙船の打ち上げのごとき荘厳さだが、



 食感を決定付けるという点で言えば
それは確かに神聖な作業だったに間違いない。



 



 四段に組み上げられたせいろの隙間という隙間から白い蒸気が噴き出し、

 それはさながら18世紀の実験場のごとき景色だった。



 その最下段の一枚が勢いよく引き抜かれ
そのまま一気に冷水に浸された瞬間、


 蒸気はたちまちにして立ち消え、

 やがて周囲には
えも言われぬ香ばしい空気が充満した。



 「これを二度するのが石巻の特徴なんです」

 「へぇ、二度蒸しするんですか」







 子供の頃から同じ行程を見続けたに違いない島専務によれば
石巻で「焼きそば」といえば昔からこれで、


 それはいわゆる冷蔵庫の無い時代、

 いかに常温で麺を保存できるかに創意工夫が求められたその結果だったのだという。



 つまり“二度蒸し”“二度水洗い”という手法は、
この港町に焼きそばの日持ちを保障したのであった。



 そしてその過程で麺が茶色に変化することも・・・。






 「そうです、この二度工程によって生まれる独特の色なんですよ」





 そのあと我々は、

 数ある石巻焼きそば提供店の中から
島金商店の専務の引率で一軒の居酒屋を訪れた。



 



 まだ開店前の座敷には
『大好き!ご当地B級グルメ』というポスターが貼られ、

 卓上のメニューを見れば
『石巻だけの茶色いやきそば』と三段に囲んである。



 「カメラ回りましたぁ〜、はい焼き始めてくださ〜い」



 厨房の一角が煌々と照らされ、
次の瞬間親方の手元からもうもうと湯気が上がった。



 『石巻焼きそば』のもう一つの特徴として
カツオブシ系のダシで蒸し上げるというのがあるが、


 テレビの照明に照らされた白い蒸気は、

 旨みをたっぷり含んだまま
周囲の撮影クルーごと蒸し上げていった。



 ガラス越しに眺めていても一向に飽きない。







 私はとなりの島専務に、

 先ほどから抱いていたある疑問を
ぶつけてみることにした。



 「パンフレットにどうして南部屋が無いんですか?」



 今でこそ石巻代表のグルメとして
街のあちこちにノボリ掲げる茶色い焼きそばだが、


 そもそも私は南部屋の出前でしか知らず、

 それを“石巻名物”としてこの街が頂くようになるなど思ってもみなかった。



 石巻で焼きそばが食堂で供されるようになったのは戦前とも昭和25年前後とも言われ、


 それが焼きそば発祥地≠名乗ってはばからない秋田県・横手市を上回っているとして、

 「石巻こそソース焼きそばの発祥地」と、

 もっと主張すべきだという声も少なくないという。







 そのどちらが先か私には分らぬが、



 たとえば『富士宮やきそば学会』の会長が
「静岡県富士宮市では、戦前戦後を通じて焼きそばが手ごろな食だった」という旨をHPに書き、


 一方でとんかつソースの開発メーカーである
関西の雄・オリバーソースの社長は、

「焼きそばはトンカツソース(昭和23年発売)と同時に誕生した」と“大阪発祥説”を雑誌のインタビューで暗にほのめかすなど、



 まるで「焼きそばを制す者が町おこしを制す」と言わんばかりに全国各地で火を噴く角逐の中、



 遅ればせながらわが石巻が
堂々と宣戦布告したという出来事自体は、

 本来焼きそば好きの私にとっても
まことに慶賀と申し上げたい。




 だからこそ・・・!


 かつて私が親しんだ『南部屋』を、

 茶色い麺の普及期(昭和30年ごろ)以来の老舗であり
長年その味を守り抜いた功労者として、


 石巻焼そばのパンフレットには
真っ先に載せるべき存在ではないのか。



 なぜ南部屋さんは載っていないのか・・・?







 「実は南部屋さんは3年前に店を閉めたのです」



 えっ?

 あの〜それって・・・!



 と言おうと思った瞬間
私の目の前に出来立ての石巻焼そばが運ばれてきた。



 ダシで蒸しただけあって
立ち上がる匂いだけで食欲をそそるが、

 普通のソース焼きそばのごとく茶色い麺は
まだダシだけの味付けでしかないという。



 「それにソースを後がけするんです」







 そうだったのかっ!



 確かに南部屋のご主人も
出前のたびにいつもソースの小瓶を置いていったのを

 私もいまだに覚えている。


 だがあれは「味が薄い時は追加でかけて」という意味じゃなくて
ソースの後がけが流儀だったんだ・・・。



 これはご主人に悪いことをした、
と今さら言っても今や閉店してしまっては・・・。







 「美味しいです。麺自体にコクがあって硬さもちょうどいい!」

 「そうでしょうそうでしょう・・・!」



 そう言ったのは居酒屋のご主人ではなくて、
製麺所の専務だった。


 そして彼はこうも付け加えたのである。




 「この店が、南部屋の味を一番受け継いでいると思います」



 その言葉に思わず振り返った私に、
傍らにいた店のご主人は深々と頭を下げた。




 ・・・どうりで美味いと思った。


 なんだか懐かしさいっぱいで、
心にしみてくらぁー。


   


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