Personal


[バックナンバー]
佐藤修 落葉松林(からまつばやし)
佐藤修


誕生日
昭和34年5月20日。
世界の王さんと同じ。
出身地
札幌市東区。小学校の帰りは伏古川の堤防でスキーをしました。札幌小学校卒。中央大学出身。
血液型
O型
担当番組
スポーツ実況
趣味
園芸(バラ、パンジーを種から育てること)
料理(気分転換程度です)


今、興味のあること
蚊に刺されずに庭に水をやる方法。ジョギングで出会う白い柴犬が全然慣れてくれない。

得意ジャンル
陸上かな。
      
好きなタレント、芸能人
広瀬すず。川口春奈。
  
私の好きな・・・
ワインは赤
お気に入りの場所
出勤途中、雪の奥羽山脈が一瞬見えるあの橋の上

私のよく行くお店
ホームセンター、ガーデンガーデン、ザガーデン
私ってこんな人です
動物に例えればハムスター。

『ランナー公式戦デビュー』
2016/11/14

ジョギングを始めて丸5年が過ぎ、初めて大会なるものに出場した。自分のペースで景色や音を楽しみながら走り続けていたが、今回は断れなくなりついに出場を決意した。他人のペースはどうなのだろう。引っ張ってもらって通常以上のタイムが出るだろうか。期待と不安の気持ちで当日を迎えた。

12日土曜日、宮城野原で開催された第6回仙台リレーマラソン。陸上競技場のトラックと外周を走る1.4kmを30周、42.195kmを1チーム6〜15人でタスキをつなぐ大会だ。TBCからは「袴チーム」と「粟チームの」2チームが参戦。メンバーは各6人。袴チームは1週ごとにタスキを渡すダッシュ型、粟チームは1人7km前後でタスキを渡すペース型。
私は粟チームの5番手で5週=7km。

午前9時、約260チームが一斉にスタート。速い。みんな速い。先を争うように猛ダッシュ。自分が思い描いていたのんびりと走る世界とは程遠い。一気に不安が襲ってきた。1番手佐々木淳吾アナが8週11.2kmを53分で走り終えた。想定よりかなり速い。1周ごとにタスキを渡すチームにあおられ、ついついオーバーペースになってしまうようだ。

「誰かのために闘う人間は強い」震災に打ちのめされていたとき、楽天嶋捕手の言葉に力づけられた。でも当事者になってその言葉は実力のある人に当てはまるような気がしてきた。ただただみんなの足を引っ張ったらどうしよう。そんな不安ばかり。チームのために頑張ろうという所まで心がたどり着かない。

2走平塚、3走間宮と皆速いペースでタスキをつなぐ。あと6分くらいで自分の番だ。肩甲骨を動かし、しこを踏んで股関節を柔らかくする私なりのルーティーンを済ませた。ブルーのトラック上に、下半身ぴったりのコスチューム姿が見えた。4走浅賀だ。かなり疲れている。あと10m、最後の力を振り絞りタスキが渡った。

よし行くしかない。ブルーのトラックが足の裏に心地よい弾力が伝わる。「こんなに走りやすいのか」ホームスストレッチに差し掛かる。大会を主催する仙台市スポーツ振興事業団の面々が声をかけてくれる。どうも!どうも!と愛嬌をふりまく。自分ではペースが速いと思いつつ抑えられない。重賞レースでサラブレッドが数万大観衆のメインスタンドを通過する際に「かかって」しまうのと同じ状態。まずい、ペースを落とさなきゃ。いつも口ずさむ曲を思い出そう。でも思い浮かばない。その間に1周交代作戦の選手がどんどん追い抜いてゆく。とても追走できるスピードじゃない。しかし取りつかれたように走った。あっという間に1周も終わりそうだ。

マラソンゲートから陸上競技場内に入り歓声を浴びる。まるで五輪ランナーの気分。第1回アテネ五輪でスタジアムに戻ってきたスピロスルイスはこんな気持ちだったのだろうか。1、4kmを6分30秒で走った。速すぎる。持たない。多分つぶれる。でもスピードが落ちない。いや落とせない。こんなにきついのか。

そんな苦しい時を見透かしたように、今度は仙台市スポーツ振興課のB課長が「オ・サ・ム・サーン」と満面の笑みで声をかけてくる。思わず笑顔でどーも!思えばこの課長さんの一言でこの参加を決めたのであった。あの時調子に乗らなければ、こんなにつらい思いをしなくて済んだのに。
ペースを落としたい。でもチームのメンバーをがっかりさせたくない。う―苦しい。

ラストラップ、5回目の青いトラックが目に飛び込んできた。あと200mだ。シドニー五輪金メダリストの高橋尚子さんはラストに入った時、「もう終わってしまうんだ」と、まだまだ走っていたい気分になったそうだ。

そんな余裕など微塵もない。とにかく粟津、粟津。アンカーの粟津はどこだ。瞳より先、真っ白なプニプニのほっぺが目に飛びこんできた。いたっ!この時ほど後輩の笑顔に心救われたことはない。汗の沁み込んだタスキを渡す。終わった。

腕時計は33分59秒83で止まっていた。これまで7kmは41〜42分で走っている自分には驚異的な記録だった。景色を見る余裕など全くなかった。ひたすら、前を走るランナーのナンバーカードとユニフォームを見続けた初レースだった。みんなの足を引っ張らないように走った結果が「好タイム」につながったのか。それとも「誰かのために闘う人間」に一歩近いたという証なのだろうか。

各チームがフィニッシュして、トラックのまわりの応援団が一つ減り二つ減りしてゆく。3週を終えた粟津アナが笑顔でフィニッシュ。私たちが30周を終えたときには数えるほどのチームしか残っていなかった。悲しいかなメインスタンドでは表彰式がにぎやかに進んでいた。順位は200番台。午後1時を過ぎたばかりなのに柔らかい初冬の日差しがトラックを心もとなげに包んでゆく。今回はみんなでタスキをつなげたことで良しとしよう。





   


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